マジシャンとの問答の夢

モニタの裏にマジシャンが潜んでいる。マジシャンが木の枯れ枝のようなものを落とすと、私はそれに目を奪われて、夢の中(夢中夢)に落ち込んでしまう。

健全な人間なら、モニタの裏に木の枝があるはずはないと考えるかもしれない。しかし夢の中では、木の枝に一度注目を集めてしまえば、そこがモニタの裏であるという事実は視界から外れる。ゆえに夢を見破るコツは、二か所を同時に見ること。それと…

マジシャンは灰色のタキシードを着た小人であり、不敵に笑って私を陥れようとする。壁にはオレンジのネオンで作ったおしゃれカフェのメニューのようなモビールがかかっている。私は二か所に目を走らせるように頑張り、なんとか覚醒する。そこは布団の上であり、隣の部屋には同居人がいる。壁の切れ目から同居人がいるのが見える。

しかし、まだ夢の中であることが分かる。身体を起こすことができない。もがきながら次のことを悟る。自分の部屋の壁には切れ目などはない。だから同居人は見えない。また、現実の私は仰向けに寝ている。仰向けに寝ていると、頭を動かすための落差を作り出すことができない。位置エネルギーがない。したがって夢を破るためのもう一つのコツは、仰向けに寝ないこと。

目が覚める。

水仙の器の夢

秋田にある祖母の家。弟と二人きりでいる。(現存しない。現実よりもかなり大きく、豪邸気味である)

祖母は何らかの病を患い、一時的に家を離れることになった。その間、私と弟がそこに滞在することになった。(現実と違う設定。祖母は他界している)

二階の中庭側は広いバルコニーになっていて、真ん中には石材で設えた噴水池のようなエリアがあり、小庭園になっている。植物の鉢が大量に置かれ、その多くは水仙のような、水に浸っているタイプの植物である。形は珍しく、花は繊細で、完全に手入れされている。庭師の手によるのかもしれない。

その中に、水仙の葉か花弁がどんぶりのような真円の器型になっている鉢がある。葉と花弁が混ざったような外見で、青色や白色、透明の部分があり、葉っぽい部分もある。器の中には別の小型の植物が入っていて、小さい水仙のような葉や薄黄色の花が見える。底にはわずかに水が溜まるようになっている。底には穴が開いていて、蟻の巣になっているようである。

弟は好奇心を抱き、この器に水を足し入れる。少し入れるだけかと思ったら、見る間に大量の水を入れて、蟻を溺死させてしまう。止める間もなく水は満杯になり、他の植物も水に浸かってしまう。結果として、中の植物はだめになり、腐った水槽のようになってしまう。私は驚き、どうしたものかと考える。 とりあえず、鉢の中の水と植物を別の器に移したりしてみるが、甲斐もない。

弟はもう一つ、似たような鉢を駄目にしてしまう。私は弟を止め、「祖母が帰ってきた時にどのように思うか考えたがいい」と諭す。しかし、実際に帰ってくるのかどうかは分からない。

ややあって、やはり全力を尽くして原状復帰を試みようと考える。器から汚水を抜き、中にあった植物の葉や花を一枚一枚確かめて、取り分けてみる。中にあった植物は根がなく、茎の途中で切断されている。つまり生け花であった。または葉や花だけで独立しているタイプの特殊な植物だった。

構成要素を一つ一つ丁寧に扱えば、できることはあるはずだと思っている。

バルコニーの下には隣家とそこにつながる道が見え、車が行き来している。 隣人が運転しているものであろう。道は舗装されていない。

人肉鍋の夢

9/18の夢

昔住んでいたマンションの居間で、大企業のしゃぶしゃぶパーティーが開かれる。社長秘書は六条ミヤコである(自分の漫画のキャラクター)。お偉方が「なんの肉からいくか?」と問うと、 ミヤコは「やはり人肉から…」と答える。(ミヤコは大筋で、殺人鬼のOLというキャラクター)

私は席にはついておらず、人肉にはありつけなさそうなので、すねていた。そこで母は「アライさんの家に唐揚げを届ける」など数個のミッションを私に提示する。それを行えば肉にありつけるかもしれない、とは別にほのめかしておらず、ただの気休めのような気もする。私は唐揚げの作り方やその他の手順について母に確認し始めるが、そんなことは意味がないかもしれない。

人肉は薄く切ったうえでミルフィーユ状に固められ、ブロック状をなし、鍋の中で煮えつつあった。煮えるまで皆が席を離れていたので、くすねて食べることも可能に見えたが、躊躇った。

弟と、夢と現実が分からなくなる夢

住んだことのない2DKくらいの部屋。暗い朝。弟が病死する。大きな悲しみに動揺する。ここで寝起きしていた母が現れる。巨大な悲しみに空間が動揺する。

私は足腰に力が入らず、上手く歩けない。隣の部屋にGがいる。機嫌が悪そうだ。私は朝食を摂らなければならないが、調理はおろか立ち上がることも難しい。できればGにコンビニなどで買ってきてほしい。チョコ系の菓子パンを含むラインナップで頼みたい。すぐに糖分を摂りたいと思うほど、全身に力が入らない。しかし、窓から階下を見下ろすと、かなりの豪雨の様子である。外は小規模なオフィス街のような、学校の近くのような立地で、通勤通学の人たちが雨を避けて急いでいる。居間には、先週実家から持ってきた衣服の入った段ボール箱が置いてある。

このあたりで、弟の病死は現実ではないと気付く。弟は自死したのだから、けさ病死したはずがない。だからこれは夢である。頻出のパターンだ。しかし、だとすると、先週実家に行ったことも夢なのだろうか。ここに、引き揚げてきた段ボール箱があるのに?私はどこまでが現実で、どこまでが夢かの境界がうまく引けないことに恐怖し、動揺する。

(一回起きる)

病床の弟と、付き添う母。最初と同じ感じの部屋。弟はタブレットで動画を見ている。私が教えた、ラッパーのバチスタに関するもののはずだ。しかし画面を見ると、BANKARAなるラッパーの旅映像(電車に乗っている)が映っている。私が指摘すると、弟は「いや、彼の歌詞の中にバチスタが出てくる」という。つまり二人は友人同士なのだろう。BANKARAは赤い斑点のようなメイクを顔にしていて、母はそれを不気味だという。旅映像は旅番組のようで、同行する他のラッパーが登場する。その髪型は、頭から浮き上がって巨大なカーブを後方に描く派手なもので、新幹線に乗るには適していない。巨大な熊手のように、頭からいくつかの房が立ち上がっている。後ろの座席の客に引っかかりそうである。

私は今朝見た夢について、二人に話すべきかひとしきり迷う。話したいが、弟が死ぬ夢を語るのはげんが悪い。だが、語るべきでもあると感じる。弟は死の床にあることをある程度受け入れてはいる。

弟が、「むかし落ちていた帽子を拾って被らなかったか」と尋ねてくる。私にはそういった体験はない。どうやら、弟にはそれに類する体験があり、それが死病の遠因であるようだ。弟が広げている新聞には、人体にとりつくカビのような病原存在について見開きで書かれている。それが大腸癌を引き起こしたもののようだ。弟は「できるだけ多くのことを後悔したい」という。たぶん主知的な態度なんだろう。

私は 結局、夢について話す。雰囲気はほぐれている。記憶が若干変わっていて、弟の死、母の登場につづいて「中学生くらいの背格好で、ロカビリー的な服装(黒いベスト)の弟」が登場した夢になっている。「ロカビリー的な服装」という言い方について、母は「そう形容すれば、髪型の話ではないことが伝わるわね」と評価する。

私は、先週実家に行ったことは夢なんだろうかと二人に訊く。すると母が、それは現実であるという。祖父母の家に挨拶に行ったではないかという。なるほど、言われてみればそうか。(現実には行っていない。引き揚げてきた段ボール箱もない)

キリンみたいな鳩の夢

アーケードのある商店街を歩いている。そこには鳩が何体かうろついているが、その中にキリンみたいな鳩が1体混じっている。鳩たちの色は白っぽいが、その鳩だけは、白っぽいうえに薄茶色のキリンのような模様があり、なおかつ首が長い。

角を曲がる。角にある店は携帯の代理店のようである。キリンのような鳩を改めて見るが、やはり目の錯覚とかではなく首が長く、鳥の体型とは思えない。それは羊かヤギのようにも見えてくる。それは「めええ…」というような鳴き声を上げる。あ、やはり羊だったか、と思いきや、それは立ち上がる。

その鳩は、どうやら人間による仮装だったようだ。白いマスクと毛皮を身に付けた女性である。私は「インスタレーションか何かですか?」と声を掛けようとする。しかしその前に、女性の方から「知っているの?」と声を掛けられる。かと思うと、その存在はもう消えていて、最初からいなかったかのようである。

まんまとおびき寄せられたかのような、異常な恐怖に襲われて目が覚める。

おわおわの夢

1月28日の夢

駅前の雑踏の中で、花壇に寄りかかって座り込んでいる。Eと一緒にいたが、彼は用事ということで一旦別れる。私は路上で仰向けになり、毛布を被って寝る。そうこうしているうちにEが戻って来る。Eと電車に駆け込む。

どこかで何かを観た帰り、Vの家に泊まることになる。ベッドを並べて、ベッドだが雑魚寝の感じである。隣にAがいる。照明はナイトランプで、テレビではコンサートの映像が流れている。それは5000年ぶりの何とかと銘打たれていて、Vによれば、基本的に聞く価値のあるシリーズだが、当たり外れはあるという。

テレビは続けてナウシカのアニメに移行する。飛行艇の上でやり取りする傭兵と正規軍。城ではナウシカと貴族が剣の手合わせをしている。それは世界名作劇場の学園物のようで、ノリも学園のそれである。ナウシカはわざと負けるが、貴族は追い打ちをかけようとする。そこに金髪くせ毛のミステリアスな女の子(共通の知り合い)が現れ、「二人ともそのあたりで、もう終わりにしましょう」と言おうとする。が、「おわ」のところで吃音症が出て、「二人ともそのあたりで、もうおわ、おわ、おわ、おわ」と「おわ」を繰り返す。これが「しごおわ」の元ネタか、などと思う。

目が覚めると、「おわ」はカラスの鳴き声だった。(カラスの鳴き声は途中で調子の上がる瞬間があり、そこを意識すると「お」「わ」の二音に分かれて聞こえる。電子音のような声に聞こえる)

滝沢の夢

1月24日の夢

実家。弟がマリカー64やパワポケを最近一人でやり込んでいるという。私はいま64?と驚く。弟は淡々とゲームをしている。話しかけると、場面はクッパを使って戦う3D格ゲーであり、弟はモートンにライフ1差でぎりぎり負けていた。

母がお好み焼きを焼いている。マンション時代のようである。私はピアノの練習をしようとしているが、食事の後に回すことにする。弟はいない。

テレビで、滝沢秀明が自身の名前「たきざわ」を二音目下がるイントネーションで発音している。母と私はそれに驚く。でも考えてみたら「黒川」とかも二音目下がるし、それと同じイントネーションだね、と母に言う。

(起きてから考えると「黒川」の二音目は下がってない感じがするが、こう力が入る感じ)

仏性の種の夢

1月23日の夢

アニメに関する評論、あるいはツイッター漫画で、あるキャラを仏性の種だと評するものがある。ブッダ・ザ・ミッド、あるいはブッダ・ミッド・シードなどと読み仮名が当てられる。

Eと地下鉄を移動などしている。いつしか私は風呂敷を使って宙に浮いている。そのまま地下の土産物屋やデパ地下を移動する。買ったものをどこかに置いてきてしまい、探しに戻る。迷う。

地下の大きな古本屋に寄る。そこを浮きながら縦横無尽に移動する。風呂敷を立てると浮力が強まるようである。直感に反するが、「立てる」という上方向の動きが浮遊を促進するらしい。

「別冊宝島 手塚治虫特集 感じるサファイア」という本が気になる。それは青赤の2色印刷で、古風を装った印刷の表紙である。近くに「奇妙」と言うタイトルの、怪奇スポットを地図に示したサブカル本もある。それは占い本のように紫色で目立つ装丁である。

せっかく古本屋に来たからハンターハンターを読もうと思う。

会社と学校の夢

一度辞めた会社にアルバイトに行くことになっている。気が重い。地方の街をバスで行く。降りるべきバス停を行き過ぎてしまい、駅前まで行ってしまう。始業11:00に対して現在10:40分とかである。そこから急いで徒歩で向かおうとする。時計を見ると11時を既に回っており、逆に始業12:00だったような気がしてくる。12:00であってほしいという気持ちと、普通は11:00だろうという気持ちがせめぎ合う。

場面は一度切れ、別の文脈で会社に向かう。そこで前職の同期と合流し、取引先に向かうことになる。彼から社用携帯を渡される(なくすか何かしていたらしい)。彼に先導されて駅に向かうが、私は足がゆっくりとしか動かず、小幅でしか進めない。同僚は電車に遅れるぞ!と警告しながら、改札を通るところである。焦る。

また別の場面。学校のような場所にいる。別の同期がいて、私が無くした携帯なりプリントなりを下駄箱などで渡してくれる。この学校では、下校時に机を全て別の場所に動かすというルールがあり、皆で机を持ってどやどやと廊下を進んでいく。翌日になると、これらの机は再び元の場所に戻される。これは全くの無駄ではないかと強い反感を抱く。人の波は満員電車のように動き、皆が道理を知って動く中、私は何か基本的なことを把握しておらず、その場しのぎの動きをしている。

好きな本を読んでいると、誰かへのアピールで読んでいるのかと軽く茶化される。さほど気にはならないがうっとおしい。

課題で漫画を読む。それは特異な絵柄で親しみにくいが、一時間ほど読むと魔法がかかってきて、非常に面白いタイプの漫画である。同期に話をふられて、そのように話す。

試験、あるいは自習室。終わりのページから逆に見ていくと、最後は聖書の一節である。楽に終わりそうだから、一区切りぜんぶやって帰ろうと思い、前に戻ると、思いのほか別種の問題が沢山あった。数学は全然分からない。江戸時代の歴史資料が始まり、それは小説のようでもあり、倫理的な精神を当時持っていたまれな指導者、というような論説になっていく。

蘇生した弟の夢

ドント・ブリーズのようなホラー映画を見ている。真っ暗な屋内。木造の家。闇の中で殺人鬼が襲ってくる。殺人鬼は机を投げて道を塞ぐなどする。階段を駆け下りて逃げる。階段は、立体的な透視図のように表現され、カメラが下に降りていく。

一階は納屋かガレージのようになっており、主人公たちはそこで追い詰められる。しかし女性の一人が「ここまで辿り着けばこれがある」と言って、壁から伸びているチューブを咥える。それは吹き矢のような道具であり、火花が真っ直ぐ飛んで、殺人鬼の額に命中する。火花は背後の覗き窓から外にまで出て、辺り一帯を炎上させる。殺人鬼は無傷であったが、騒ぎにより警察が駆け付けることは間違いない。

殺人鬼は警察に逮捕されていく。主人公たちの勝利だ。しかし、実は殺人鬼は人知れず悪に抵抗しているヴィジランテであり、実はこちらの方が主人公だったのかもしれない。殺人鬼の腕は怪我の出血で赤く染まっている。殺人鬼の息子が、彼に付き添ってパトカーに歩いていく。ここまでは前ふりで、ここからがこの映画なのだ…。

大学のキャンパスのような場所で、いかにもホラー映画で死にそうな若者集団が歩いている。それとは別に、ナードっぽい雰囲気のある、陰のある若者が登場する。前者が後者に声を掛ける。

以上のような映画を、野外の広場で見ている。そこはテーマパークと公園の中間くらいの場所であり、パイプ椅子やベンチ程度の椅子が並べられ、人々が映画を見ている。

電車の中で歌い歩く、ミュージカルのような場面もある。「DIOの言うことならなんでも聞いちゃう奴、DIOに首ったけの奴」のような歌詞。ここでいうDIOはジョジョの方ではなく、ミュージシャンの方のDIOなのであろう。スーパーのシーンも出てくる。「すっぱい」に引っかけたネーミングの看板。

字幕が前の人に隠れて見えないので、立って移動したりする。後ろの人の視線を塞がないか気にする。やがて弟の左側の席が空いたので、そこに座る。

弟は死んだが、死体を蘇生する技術によって今ここにいるのだ。こうしたことが可能なのであってみれば、いったん死んだからといって何の不具合があるだろう。何を嘆いていたのか、とくに不具合が思いつかない。

洋画の後には仮面ライダー映画をやっている。主人公が下宿を勢いよく出て行く。下宿の看板には「すーぱー荘」と書かれている。観客は先程の「すっぱい」との関連に思い至り、反応する。私は「みんな細部に注目しているな」と言う。そのカットはサブカル色のある街角でロケされており、機関車トーマスの首が付いているような標識や、遊び心のある看板がそこらに見える。