無かった祭りと母の同人誌の夢

現実にはない、古くて大きい実家。大掃除中のようである。大きな螺旋階段を昇降していると「すうぱあかぐや姫」の単行本を見つける。それは母の所持品のようで、1巻だけであり、古い。

僕が室山まゆみのファンなのは知っているだろうに、なぜこれを隠していたのかと母に訊くが、母は曖昧に濁す。出てきた「すうぱあかぐや姫」を読んでみると、タッチが荒くて古さを感じさせる。「どろろんぱっ!」のプロトタイプのような幽霊譚になっている。主人公の少女が恋の成就を目指す話である。少し読んで「なるほど、母がこういう恋愛主軸の少女漫画を嫌いだから僕に読ませなかったんだろう」と納得する。

「すうぱあかぐや姫」の一幕。木造のボロアパートに金髪の可憐な少女が帰宅する。彼女は幽霊である。幽霊であるため、とんちんかんなミスをして指摘されているようだ。天真爛漫でかわいい。彼女がとり憑いたところの住人は、しかしなかなか帰ってこない。考えてみれば、その住人もまた幽霊だったのではあるまいか。そして、さらにその前の住人にとり憑いていたのであり、その住人もまたさらに幽霊だったのでは……。

「すうぱあかぐや姫」の奥付を見ると、2017年、2520年などとなっており、数字がおかしい。複数の奥付が後付けで差し込まれているようだ。2017は1917年のミスでは? いや1917年だと古すぎるのでは? などと弟と論じる。「ネタ提供」あるいはアシスタントとして数人の名前が挙げられており、その中に母と同じ名前がある。

母の作った同人誌が発掘される。それは樹木やその樹皮を丹念に描いた漫画で、ところどころにだけセーラー服の少女が描かれる。丁寧で上手いと思う。母は「ストーリーが思いつかなかったから雰囲気漫画にするため樹木を描いたのよ」という。

さらに色々なものが発掘される。それは母の描いた書画や日記の類であり、知人夫婦とその赤ん坊の似顔絵や、切除した腫瘍とその記録といったものが沢山綴じてある。表紙は綴じられていない。その表紙と中身の間に、打掛(着物)と袴が挟んである。打掛は色あせた桃色と紫のグラデーションで、仕舞に使えそうである。弟が謡の真似をする。弟が死んでいることは分かっている。

近所で祭りがあるらしいので、様子を見に母と出かける。外は墨を流したような闇夜で、一寸先も見えない。「いいことを思いついた」とスマホを取り出し、画面の光で照らそうとするが、光は長く伸びずに途切れてしまい、道を照らすことはできない。祭りと言いつつ人気は全くなく、怖くなってくる。大学の近くの歩道橋までやって来る。構内は灯りがついているようだが、ここまで来ても人気がないので、やはり祭りは無いのだろう。もういいだろうと思い、橋を渡らずに引き返す。

母が「現代史で紙束を用意してくれ」というので図書館に行き、現代史の分厚い本を持ってきて「これでいいのか」と母に訊く。もちろん、現代史の本をばらして紙束にするなどというのは聞き間違いだろう。果たしてその通りであり、母が言いたいのは「現代紙」、その意味するところは「塗工紙ならなんでもいい」ということだった。一応用途も訊いておく(訊いたが忘れた)。図書館には不要な本コーナーが設けられており、そこから材料用に何冊かもらって帰る。

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