宗教と牛丼の夢

布団に横たわっている。数人のルームメイト(実際にはいない)が何かがやがやとしている。面倒なので、まだ寝ている振りをする。ルームメイトたちは布団を跨ぎながら何かを取りに来るとかして、また去っていく。

半分起きている、と思うが、目に写る景色は、意識の強度か何かにシンクロして、ノイズが入ったりさざめいたりする。いつもの部屋にいるはずだが、砂壁だったり窓の大きさが違ったりと、部屋の様子が違う。してみると、これは夢なのだと思う。超感覚知覚のように、目を閉じているが景色が見えている。そこに意識の状態が混ざってくるのだ。だが、明晰夢をやろうとして体を動かしたり意識的に景色を見ようとすると、途端に目が覚めてしまう感じがある。

ガラケーの携帯ショップの前で説明書を読んでいる。手持ちのキャッシュカードにクレジットカードの機能を付ける方法を探しているのだ。店内から壮年の男が現れ、何をしているのかと訊かれる。店員ではなく一般客だ。答えているうちに、僕が宗教が好きだという話などが出て、一杯飲みに行く流れになる。その前に飯を、ということで、すき家に入る。僕はさほど空腹ではないので、牛丼の小を頼む。男が「宗教というとどんな」と訊くので、「主にキリスト教、最近はヒンドゥー教に関心があります」と答えると、カウンターの中にいる(が店員ではないらしい)婦人が「その通りです。宗教が必要です」と話に入って来る。「現代人は気が乱れている。気のコントロールの型をコピーしなければならないのです。気のコピーです」ああ、これは若干方向性が違うな、と思う。しかし、壮年の男の方からすれば、僕とこの婦人は同ジャンルに見えるだろう、と思う。

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