弟と、夢と現実が分からなくなる夢

住んだことのない2DKくらいの部屋。暗い朝。弟が病死する。大きな悲しみに動揺する。ここで寝起きしていた母が現れる。巨大な悲しみに空間が動揺する。

私は足腰に力が入らず、上手く歩けない。隣の部屋にGがいる。機嫌が悪そうだ。私は朝食を摂らなければならないが、調理はおろか立ち上がることも難しい。できればGにコンビニなどで買ってきてほしい。チョコ系の菓子パンを含むラインナップで頼みたい。すぐに糖分を摂りたいと思うほど、全身に力が入らない。しかし、窓から階下を見下ろすと、かなりの豪雨の様子である。外は小規模なオフィス街のような、学校の近くのような立地で、通勤通学の人たちが雨を避けて急いでいる。居間には、先週実家から持ってきた衣服の入った段ボール箱が置いてある。

このあたりで、弟の病死は現実ではないと気付く。弟は自死したのだから、けさ病死したはずがない。だからこれは夢である。頻出のパターンだ。しかし、だとすると、先週実家に行ったことも夢なのだろうか。ここに、引き揚げてきた段ボール箱があるのに?私はどこまでが現実で、どこまでが夢かの境界がうまく引けないことに恐怖し、動揺する。

(一回起きる)

病床の弟と、付き添う母。最初と同じ感じの部屋。弟はタブレットで動画を見ている。私が教えた、ラッパーのバチスタに関するもののはずだ。しかし画面を見ると、BANKARAなるラッパーの旅映像(電車に乗っている)が映っている。私が指摘すると、弟は「いや、彼の歌詞の中にバチスタが出てくる」という。つまり二人は友人同士なのだろう。BANKARAは赤い斑点のようなメイクを顔にしていて、母はそれを不気味だという。旅映像は旅番組のようで、同行する他のラッパーが登場する。その髪型は、頭から浮き上がって巨大なカーブを後方に描く派手なもので、新幹線に乗るには適していない。巨大な熊手のように、頭からいくつかの房が立ち上がっている。後ろの座席の客に引っかかりそうである。

私は今朝見た夢について、二人に話すべきかひとしきり迷う。話したいが、弟が死ぬ夢を語るのはげんが悪い。だが、語るべきでもあると感じる。弟は死の床にあることをある程度受け入れてはいる。

弟が、「むかし落ちていた帽子を拾って被らなかったか」と尋ねてくる。私にはそういった体験はない。どうやら、弟にはそれに類する体験があり、それが死病の遠因であるようだ。弟が広げている新聞には、人体にとりつくカビのような病原存在について見開きで書かれている。それが大腸癌を引き起こしたもののようだ。弟は「できるだけ多くのことを後悔したい」という。たぶん主知的な態度なんだろう。

私は 結局、夢について話す。雰囲気はほぐれている。記憶が若干変わっていて、弟の死、母の登場につづいて「中学生くらいの背格好で、ロカビリー的な服装(黒いベスト)の弟」が登場した夢になっている。「ロカビリー的な服装」という言い方について、母は「そう形容すれば、髪型の話ではないことが伝わるわね」と評価する。

私は、先週実家に行ったことは夢なんだろうかと二人に訊く。すると母が、それは現実であるという。祖父母の家に挨拶に行ったではないかという。なるほど、言われてみればそうか。(現実には行っていない。引き揚げてきた段ボール箱もない)

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