偶有的、付帯的な事象として飛べる夢

春休みのような雰囲気。家は最近引っ越したらしい。近所を探検している。裏には小さな山がある。廃屋の背面と山に挟まれた空間がある。上はトタンに落ち葉か何かが積もった天井で、その下は真っ暗な通路が続いている。奥へ進む勇気は全くない。奥は塗り潰したような真の闇である。

そこを離れ、浮き輪をつけて近所を歩いている。ぽかぽかと暖かく、浮き輪の空気が温められて体が浮く。すぐ二~三階の高さにも浮き上がってしまう。少し怖いが、それを利用して探検していく。

家の近くは今まで誰も住んでいないかのようだったが、いま区画整理されつつあり、赤土が均され、ロープが張られている。運び込まれた牛がたくさんいる。誰かが畜産を始めるのだろう。若いながらやり手の畜産家らしい姉妹がそこの主らしく、二人で何事かを話している。私は見つからないように、というつもりであたりを探検する。

その向かいのエリアも空き地である。こちらは今までいた人が去ったエリアだ。ロープで遮られた向こうでは、ラフレシアほどもある巨大なナメコが白いカビに覆われ沢山横たわっている。事業失敗の跡か。そのような農業廃棄物が散らばっている。ゼルダのカカリコ村のような立地。

家の方に戻る。体はふわふわ浮き上がる。落ちると死にそうな高さにもなる。怖いがうまく乗りこなしている。私はおてんばな少女のような姿になっている。家の近くにも馬小屋とかがある。カントリーな雰囲気。

母に近所のことを報告する。母は私が飛ぶのを普通に心配しており、危ないから気を付けろという。特に抑圧的ではない。私はそこにあるマンションに添って9~10階の高さまで一気に浮上しながら言う。「だから私にとって、こんな風に体が浮かぶことは全然問題じゃない。前にも言ったかもしれないが、これは偶有的で付帯的な事象、この世界がたまたまそうなっているということに過ぎないのであって、これと比べれば、漫画が成り立つことの方がずっと必然的な不思議である」と言いながら、9~10階の外階段エリアに滑り込む。

喋るイノシシの夢

実家(住んだことのない部屋)にいる。弟、母がいる。私は春休みのような雰囲気である。母には新しい子供(現実にいない)がおり、三歳児くらいである。何か楽器の習い事を始めていて、それがたいそう性に合っているそうだ。母と部屋にいると、その三歳児が何事かを母に喋りかける。その語彙が豊富で日本語として成り立っているので、三歳児でもこんなに喋るのか、と私は驚く。

私は弟の机のそばで、弟と遊んでいる。私が人形を出すと、弟は白と黒の仮面ライダーの消しゴム人形を出して、ダブルライダーキックを仕掛けてくる。私は「効かぬわ」などという。そうこうしていると、人形たちが別の机(今使っている机に似ている)の方に弾き飛ばされて、その辺りの物を下に落としてしまう。私たちは「あーあーやめてよね」といって物を拾う(このあたりの弟は母っぽいものが混ざっている)。パズルのような人形や箱がばらばらになってしまう。

拾い集めた中に、私の目標を箇条書きした紙がある。私は最近あまり捗っていないので、ここらで目標を立て直さなくてはならない。目標には、大学受験に関する各科目のタスクが書いてある。私はもう一度大学に入りなおそうと思っているのだ。しかし、考えるうちに、もう一度大学に入っても意味がないのではないかと思い至る。何たること! ぜんぜん意味を感じない。私は頭を抱えてうめく。周りに相談しようと思って大げさにうめくが、とくにアクションはない。

「町内放送の者です」という人が家に訪ねてくる。「〇〇博士の仰るところでは、この度台風がやってきて、それが去って行く時、地球上の空気を引き上げてしまうから、ここらで区切り時だということで。台風が止む時間をお伝えください。回覧板が回せないので」というようなことを言っている。その人は3~40代くらいの男性で、うさんくさい雰囲気である。「近所の人はみな××さん(長老のようなお婆さん)と知り合っている」というようなことを言う。どうも、その××さんの集会の使いとしてやってきたようである。我が家は引っ越してきて間もないようである。いつの間にか家は妙に広い集会場のような家になっており、親戚たちも一緒に住んでいる感じである。私は使いの者に、取引関係を結ぶことを匂わせようとして、「私を仲間にすれば、皆を××のところに行かせてやらないでもないぞ」というような雰囲気を出す。「私はキリスト教徒になるから行かないが」と付け加えると、使いの者もクリスチャンだという。私は興味を惹かれる。やがて使いの者は親戚たちに追い返されていく。

家の入口あたりまで来る。そこは中国の家で、家というより市場のような感じであり、大変広く、大勢で住んでいる。ドアの外に、普通の玄関程度の広さのエントランスがある。そこから仕切りなしで別の人の室内に繋がっていて、アル中の隠者のような老人が座っている。赤褐色のタイルのような床で、家具類が少ない。私はそちらに踏み入らないよう気を付ける。

二本足の小さなイノシシがひょこひょこと歩いてきて、家に入ろうとする。「ピポピポ」というような声を出している。イノシシの子供はこのように喋るものだ。親戚や近所の人は慣れていて、イノシシの首根っこを掴んで外に追い出す。私は透明な樹脂のドアを閉めたり、鎖をかけてイノシシが入らないようにしようとする。そうこうしている間に別のイノシシが辺りをうろついている。

さっき目標を見直していた部屋まで戻ってくる。誰もいない。私は目標の件を弟に相談してみようと思う。

問い詰める夢

マンション時代の実家のような部屋。Sとマジックの勝負をしている。私の使うカードには、イラスト付きトランプのようなカードが混ざりこんでいる。それは古いエキスパンションのカードの絵が描かれていて、通常のカードと同じように使用できるらしい。私は《飛びかかるジャガー》や《役畜》を使う。しかし手札0枚、土地1枚にされてしまう。Sは青白緑のデッキである。私は敗北を悟るが、相手が最後のターンにドローなど念には念を入れる行動をしていて、それがあまりに長引く。私はいらつきを抑えながら「私の負けです」と言い、カードを片付ける。その後、「アーティファクト主体のブロックや多色のブロックが嫌いだ」という話をする。

弟と何かをしている。雰囲気は楽しく、今なら自殺の理由を聞けるように思う。しかし、訊くとまた夢が覚めてしまうと思い、もう少し後にしようと思う。

「テニスの王子様」の実写ドラマらしきものを観ている。敵はラケットの代わりにゴルフクラブを使っており、奇怪なボールの回転に味方は苦しめられる。しかし、トーナメントの最中にラケットを替えることは反則であることを審判に伝え、勝利となる。黒子のような審判が敵のゴルフクラブを回収しようとする。敵はゴルフクラブを口にくわえ、黒子がそれを引っ張って引きずっていく格好になる。黒子はバイクに乗って敵を引きずっていく。コミカルなシーン。主人公たち二人の少年は車の後部座席に並び、和やかに笑いながらそのさまを見ている。敵の醜態を直接描かず、主人公たちが笑うシーンを描くことでコミカルさを際立たせている。しかし、笑うシーンがあまりにいつまでも続く。

弟がそれを疑問に思っているので、私は「リアクションを描くのは大事なんだ。その出来事が作中でどう扱われているかが読者に伝わるためには。私が好きな『突っ込みなしにおかしな出来事が起こる』というやつは、その点で難しいタイプのギャグだ」という話をする。そして「君はそういう系のやつをどう思う」と訊く。弟はなぜか反応せず、ごまかそうとする。妙にベタベタと絡みついてくる。見ると、弟の唇は上下がくっついて融合してしまっており、しゃべる気が全くないようである。唇はくっついているが、下唇の下が代わりに切れていたりもする。私は弟の両肩をつかみ、答えろ!と激しく問い詰める。

やがて弟は観念したのか、話を始める。「僕はゲームではゼルダの伝説64が一番好きで。9年もやったゲームだから」という。「君が一番好きなゲームだったかもしれないな」と私は答える(現実にはそんなにゼルダをやっていた事実はない)。話の展開が読めないまま、目が覚める。

皆既日食の夢

夜。合宿場。自分はヒロアカのデクになっている。オールマイトが寝ずの番をしている。明日はヴィランとの開戦である。私は雑魚寝の布団から立ち上がり、一人でトイレに行く。空は青黒く、細い三日月が雲でぼやけながら、時々覗く。

ふと気付くが、月と違う方向に、90度違う方向にも空に光がある。そちらも細いクリーム色の光に見える。月が二つある?確認しようとすると、その瞬間、ガス台の火が点くように、皆既日食の形に光が燃え上がる。青い空に青白い光。皆既日食だ、と驚く。火は円を一周するとすぐに弱くなり、二三回明滅する。これはひどく重要な事象である。「今がその時なのだ」と思う。

その時背後から、細長い獣を連れた敵が現れる。獣はワームのように細長く、毛皮がふさふさしている。私は慌てて逃げ、手すりから階下に飛び降りる。三階~五階くらいの高さであるが、ヒーローなので着地の心配はしない。演出がスローモーションになる。

細い砂浜の夢

Sと美術館か何かに行こうとして、知らない町を歩いている。ナビゲートをSに任せている。

大通りを何本か横切って、目的地近くらしい大通りに出る。そこには工事中らしい、グレーのネットで覆われた建物がある。そこかと思うが、そこではない。その建物を左手に、大通りを上がっていく。脇にフェンスがあり、そのフェンスと道路との間の僅かなスペース(歩道くらい)に砂が積もっている。なんと、これは砂浜らしい。「こんな狭い砂浜見たことない」と笑い転げる。フェンスの向こうには海が見える。

道が合っているか不安なので、Sに何度か「地図見た方が…」と促す。少し坂道を上がって、やはりさっきの砂浜を写真に撮るかと思って振り向くと、工事中で放置されたような遠景と、海と、少しの植物と砂が画面に収まるいい景色である。緑、白、黄色、青が美しい。iPhoneを構えると、丁度人がやって来てしまう。通りすぎるのを待とうとするが、やたら沢山の大学生がやって来る。また天気が非常によく、眩しすぎて明るい部分が色飛びする。明るさを調整しようとするが上手くいかない。太陽の方向を向いているからどうしようもないか。

先行していたSが「どうもこっちらしい」といって戻ってくる。なんと、道なりではなく、300度曲がって、さっきの細い砂浜の後ろを通る道が正解である。トラップのような見つけにくい道なので、また笑い転げる。細い道を通ると、少し開けたところに出る。そこには痛い引っ付き虫の草が四角い敷地に生えていて、真ん中に細い道がある。そこを通るとどう見ても引っ付き虫が刺さりそうなので、私は四角いゾーンの外側を回り込んでいく。Sは細い道を突っ切っていく。

その次には、立派でもない門がある。そこが目的地らしい。古びてみすぼらしく、これも絵になる。私はiPhoneを構えて数歩後ずさり、引っ付き虫の道まで戻って、門を写真に収めようとする。大きな蜂が一匹飛んでいて、それが手元に来たので驚いて目が覚める。

訊く夢

実家。住んだことのない部屋だが、マンション期に似た間取り。二度寝から覚めて朝食を作り始める。両親は出掛けており、弟だけがいる。鍋をコンロにかける。

飯には少し早い、と弟に言う。弟は、でも今夜は父が夕食を豪華にするかもしれないから、と答える。朝食を遅くするとリズムが崩れて、夕食が入らなくなる、という意味。

私は弟に「君はなぜ死んだんだ。動機」と訊く。真面目な話題だが雰囲気はフラットで、弟は答えそうである。二人だけの今のうちに訊いてしまいたい。しかし、外で車が戻ってきた気配がする。弟に「まあ、母が戻ってきたら、この話は後ですることにしてだな。とりあえず答えろ」という旨で、ごにょごにょ言う。

コンロを見に行くと、コンロから火がイソギンチャクのように高く上がっている。鍋を乗せ忘れた、または鍋の乗っていない方を点けてしまった。慌てて直す。

どこかで見た男がスーツ姿で現れ、「久しぶり。あー、ご無沙汰しております」と言う。誰か分からない。小学校のクラスメイトが成長した姿だが、今は親戚のようだ。親戚がどやどやと現れる。父も現れる。

話を拾い聞くに、母は北海道で入院したらしい。目の治療で、サイボーグ化のようなレンズを入れるとか。医師らしき人もいたので、捕まえて訊くと、保育所がどうとか言う。「なぜ保育所?」と訊くと、とにかく何か連携の問題で、保育所でも手続きがあるらしい。家の中で人が動き回り、にわかに慌ただしい。

人工呼吸器の夢

ゲーム画面。自動車修理か何かの工場を運営するが、表向きは整った店構えに対し、奥に行くほど雑木林になってしまっているくらい実態はずさんである。それを客の目から隠すゲーム。うかうかしていると客はすぐ店の中に入り込んでいってしまう。子供が興味津々で林に踏み込んでいく、男女がセックスを求めて駆け込んでいく等。

ワンゲーム終わると、そこで働くパートの女性たちは整列し、年長のパートから一言ずつ注意を受ける。それが終わると昼食休憩に入る。昼食はまかないだが、店内の調理場で自分たちで調理するスタイルである。みんなは厨房に入っていくが、一人だけまかないではなく持参の冷や飯を食べる人物がいる。みんなは「あれで馬力出るの?」と怪しんでいる。

建物に入ると、まず保健室のようなスペースがあり、その奥に調理場や休憩室がある。診断室の床には人工呼吸器に接続された患者が横たわっている。床にシートを引いて、その上に直である。患者は事故か何かに巻き込まれて海中に沈んだらしく、手足を切断され、体のパーツはあまり残っていない感じである。意識はないようだ。機械は複雑で大掛かりである。事故のことはニュースで見たような覚えがある。

みんなは奥で食事を始める。私は何か考えがあって、食事をしないか、何か違うものを食べる気でいる。床に横たわる患者を見ていると、人工呼吸器によって患者は忙しく動かされている。機械によって体を強制的に運動させ、全身に備わっている筋肉を使わせることで呼吸させる仕組みらしい。肺を動かすためか、激しく上半身をのけぞらせたり俯かせたりといった激しい動きが常に行われている。それはダンスのようである。見ていると実際にダンスになる。患者は立ち上がらされて踊る動きをさせられる。私は取材のつもりもあり、それをじっと見ている。

ふと気づくと、患者は呼吸器なしで一人で立ち、踊っている。あっと驚くが、実はそれはアルミホイルのついたてに像が投影されているだけであり、その間、患者本人はついたての背後に隠されている。このように、周りを飽きさせないエンターテイメント的な機能も備わった人工呼吸器である。

その患者のバックボーンが回想の形で流れ始める。患者は女の子であり、昔から特殊な機械を付けて周りをドタバタに巻き込んできた(事故でなく、早い時期からの障害という設定になっている)。機械によって坂を駆け上がると、鉄の扉にぶつかり、中から大量のガラス瓶が崩れ落ちてきてぶつかる、等(ええっ!?ぶつかった!?と思う)。両親や周りは身体が不自由な本人のためにセックスまで提供しようとしたが、それについては本人が「ほっておいてくれ」というので取りやめになったらしい。ここでも私は少し驚くが、周りの人は「もともと頭部の機能はほとんど残っていない人だから、(キスに関しては)心理的に大した問題ではない」という。

その子をずっと見続けてきた、銀髪で太り気味の背の低い小僧が登場している。小僧はその子が好きで、その子が本当に言いたいことが何かを常に考えている。少女が現在の昏睡に入る前に残した「なんでなの?」という走り書きについても、「なぜいつも傍にいた小僧がいないのか」という意味で書いたのだと考えている。小僧はその時たまたまいなかったのだ。そうしたことを悔いつつ、小僧はさっきも、少女が踊っている横でブレイクダンスを踊り、一緒の時間を過ごそうとしていた。人情漫画っぽいキャラクターである。

漫画分析の夢

弟に最近読んだ漫画の分析を語る。

漫画はロボットものであり、SSSS.グリッドマンの感じである。シルエットでの作画省略が目立つが、逆に言えばシルエットだけでロボットや怪獣のキャラクターがだいたい伝わるようになっているデザインがすごい、とか言っている。白黒漫画だが、別のページではフルデジ作画っぽさの目立つフルカラーの漫画になっている。女の子の髪の房が細かくブラシで描かれていて、そこにかなりコストがかかってそうにみえるが、多分ブラシ化してたりするんだろう。

「ばくおん!」の話もする。現実には「ばくおん!」を読んでいなく、夢中の漫画はけいおん!っぽい。一巻は鬼太郎と同じ文庫本の体である。こたつ机に最近読んだ漫画が積み重ねられている。弟がディズニーランドのチケットは何円かと訊いてくる。たしか千円、と答えるが、それはおかしい、と返ってくる。漫画の中のコマを参照し、そこにはディズニーランドの知識が書かれていて、いついつより改訂によりいくら、云々。こういう、各回にテーマがあって蘊蓄や説明をネタにキャラをアクションさせるのが、日常ものを長編化するテクニックのひとつで、云々。

溶けた男の夢

帰省している。

病院か何かに勤務しているイメージ。ゲーム的なものでの勝利は、死期の近い患者にとって、現世での重荷にならない透明な持ち物であり、いいことである、という考え。冬の凍った湖と空。

母と家にいる。弟を風呂に入れるという。弟は障害を負って死期が近く、介助が必要になっている。昏睡の時間が長く、実家に来てもまだ話していなかった。母がインターホンのような機械で弟に話す(ナースコール的な機器)と、弟は費用のことを考えて遠慮したようだ(入浴には高い費用がかかる)が、押し切る。いつ危険な状態になるか分からない状況なので、今日風呂に入れることができるのは誰にとっても(本人にも)幸いである。

私は北側の弟の部屋に行く。弟は床に敷いた布団に寝ている。骨のように痩せ細り、衰弱のため身体の関節が変な風に曲がって、白目をむき、動きはのたうつようで異様である。それは溶けた男のようである。私は弟に、私が来たことともう数日滞在することを伝える。下手に腕を掴んだりすると骨折したりしそうで躊躇われるが、肩を掴む。弟は、もうあまり目が見えないが、顔を触れば形が分かるといって私の顔に触れる。受け答えはしっかりしている。私はどこでもいくらでも触れて確認すればよいと答える。やり取りには温かみがある。

蛙の二人組の夢

住んだことのない部屋だが、実家らしい。母が出掛け、家に一人である。そこに、この世にいないはずの二人組が訪れる。彼らは陽気な鬼か、あるいは私が映画を観て作ったイマジナリーフレンドの類であり、私は好意を抱いている。私は子供のようになっていて、彼らを一生懸命もてなす。コーヒーを入れたり食べ物を出したりする。

二人のうち一人は私と会話できるが、もう一人は私の声が聞こえないらしい。聞こえる方の一人が間に立ってくれたらいいのに、と思う。私は存在しないものと話していることを理解していて、この機会を貴重に思う。彼らは話を分かってくれる。

やがて二人は帰っていく。もうすぐ弟が来るから、彼に見つからないように帰った方がいい、と私は勧める。なぜなら二人は蛙の化身であるから。とはいえ、弟が蛙をいじめるところは特に見たことがないが。(これは異界の友達と別れるシーンのお約束である)

二人が帰ったあとも、通常と違う意識状態は続いている。彼らのために片付けた布団や、用意したコーヒーは実際物理的にそうなっていて、この出来事は夢ではない、と思う。私は私の目線が低く、小さくなっていることに気付く。これも何かの錯覚に思われ、いずれは元に戻ってしまうと理解している。棚の上のテレビに下から手を伸ばすが、届かない。普段ならテレビは自分の背丈より下にあるはずである。実際届かないのは、単なる錯覚では説明がつかないぞと思う。膝立ちになっているのかもしれない、と思うが足の裏で確かに床を感じている。弟が似た体験を報告していた気がする。背丈は気を抜くと戻ってしまいそうではあるが、意識すれば低いまま保てる。

私はベランダに出るが、錯覚によって下に落ちてしまうかもしれないと思い恐怖する。あるいはそれが弟の死因かも。気を引き締めて、出たのとは違う窓までたどり着く。二人はベランダのベンチに座っていたかもしれない。回想かもしれない。

二人のうち一人は、少年の頃に身を売っていたが、自分は沢山の女の子と付き合っているのだ、という妄想によって自己を守っていた人物である。与えられる女装用のプレゼントは、自分が女の子のために用意したものだと考えるわけである。この妄想は、彼の現在の過ごし方に影響を与えている。そういう妄想的な人物たちがひとつの家に寄り合って住む、というストーリー。手塚治虫の「すべていつわりの家」はこの映画が元ネタかもしれない。